2008年4月13日日曜日

異種格闘技!

Kスケとトレーニング。

来週の日曜日に空手があるから、慣らすつもりで・・・・・。

はぁ・・・・。
さすがに一年もしていないと目がついていかない。
もともと攻撃をさばくのは苦手だったが、あれはひどすぎる。

まぁ今日の練習でだいぶ慣れては来たが。

後輩たちの攻撃の軌道とKスケの攻撃の軌道は大幅に違う。

なぜなら、空手は主に直線的(本来は様々な角度から)な攻撃なのに比べ、Kスケの少林寺拳法はサイドへの動きを交え、様々な角度とタイミングを持った攻撃。

まず、格闘技そのものが根本的に違うのがいけないのだが・・・・。
まぁ、少林寺拳法は格闘技というよりも武道・・・・いや、武術だから。

だが、Kスケもよくやってくれて俺としては本当に助かった。

日々精進。日々鍛錬。

欠かすことはいけない。
『人間死ぬまで勉強たい!』
と、じいさんがよく言っていた。

まさにそれだ。

人間の人生は後退は許されない。
それがいい方向でも悪い方向でもだ。
時間は待ってくれないし、刻一刻と進んでいる。

受験においてもそのとおりである。


いい結果を出したければ、目標に向かって正面突破しかない。





Kスケ、thanksです!

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。Kスケです。
昨日は久々に組み手して楽しかったよ。
動きの違う武術と組み手をするのは面白いし、何より勉強になる。

(注)こっから先は長いので、「読んでもいいぜ。」という方だけ読んでやってくださいませ。


少林寺拳法について。
古武術や古流空手なんかにも言えることだけど、少林寺拳法は『剛柔一体』
突きや蹴り、受けなどの剛法。
守法や逆技、投げなどの柔法。
これらを相手の攻撃に応じて使い分け、あらゆる局面に対応できるように修練する。
だから動き方や防御の仕方が少し複雑なんだよね。

武術について。
『武術と呼ばれるモノは、誰が創り上げたのか?』

その答えは『弱い人』
体が小さく、力の弱い人々が、自身の身を守るために、長い時間をかけて創り上げたのが『武術』

だから、武術の本質は『護身』
「自身の身や、他者を守るためにその拳や技を振るい。決して人を傷つけるためにその拳や技を振るってはならない。」ということです。

俺の少林寺拳法の師匠はよく「相手が怪我をするのは、技が下手くそなだけ。怪我させないように倒さんとね。」と言います。
確かに、『力』で相手を叩き潰し、踏みにじるのは簡単です。その相手が自分より弱ければ誰だって可能なんだから。

古武術などでもそうですが、少林寺拳法では、人体にある『急所』を学びます。中には下手をすると、人を死に至らしめるような急所も存在します。
なぜこのような『急所』を学ぶのか。
それは、相手を傷つけないために。
誤って、打ってはいけない急所を打ってしまい、相手を傷つけないために、急所を学びます。(他にも、的確な急所を突いて相手をひるませるなど、色々な理由があります。)

以前に一度、少林寺の見学に来た人に「甘っちょろい」とか、「攻め方が下手だ」「攻撃が弱い」と言われたことがあります。
確かに悔しかった。
けど俺は、人を殴ったり蹴ったりするのは苦手です。
何というか、自分が今まで鍛えてきたもので人が傷つくのが恐いと感じるんだよね。
自分が殴られたりするのはけっこう平気なんだけど・・・(けっしてMじゃ無いです)

少林寺拳法の攻撃は、相手が攻撃してから始まります。自分から攻撃することはありません。
少林寺拳法の防御は、受けに始まって、払う。弾く。流す。そして最後に、相手の放った力を利用し、そのまま相手に返す。

つまり、自分からは積極的に攻撃したりせず、向かってきた力の方向を変え、自分の力を相手の放った力に上乗せして、相手にお返しするわけです。

口で言うのは簡単だけど、実際相当に難しい技術です。
でも、俺は、安易に力に頼って相手を傷つけるよりも、誰も傷つかないように上手くやっていくのが一番だと思います。

何か訳わかんなくなりましたね。
すみません。

要は、『不要な力や争いごとは、他人だけでなく、自分自身も傷つける。』ということです。

長くなってしまい、申し訳ありませんでした。

また今度あそぼうぜ!


Kスケ

匿名 さんのコメント...

コメthanks!

現代の格闘家はもう一度自分を振り返る機会を作ったほうがいいよね・・・・。

まぁ彼らにとってあれが仕事なんだからなんとも言えないけれど。
いくら興行のためとはいえ、相手を挑発したりする行為はどうかと思う。

ボクが尊敬するイーグル京和選手はそういうところに対して敏感で、とてもいい考えを持ってる人だよ。